過去を振り返って
恥ずかしい文章を発見したのでコピペする。私もこんな文章を書いていたくらいに好きな人がいたんだという懐かしい思いになった。今や誰かを思う情熱もない。
以下コピペ
愛ゆえに人は苦しまねばならぬ。
人は好きでいたいと思った瞬間から好きな理由を探すのであり、逆ではない。
きっかけとしての理由はあるけれど、好きなことの理由ではなく、好きなことは自体が理由になって好きなのである。
好きな人を物理的に所有していないけれど、心理的に所有している。
付き合っているという状態でないにも関わらず、第三者との関係に対して奪われたような不快感があり、また、汚されるような感覚から恐怖を覚える。
相手を独占したいという思いと、自分へ向けられない感情のもどかしさ。第三者には相手を奪われたかのような怒り。それらを私には取り除けないし、独占する能力のなさが悔しくつらく悲しい。
仮に性欲に突き動かされた好意であれば失うことを恐れずにただ目的に沿って淡々と進めていくだけで、無駄だったり金がかかって見合わないなら次に移ればいいだけの話だ。
近付いて何も感じないということではないが、少なくともそういったところまで進まない限りは性欲の片鱗すら感じない。
手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに手を出さずにいることを選んだのは私だ。それなのに、他人が手を出すなら他人が独占するなら私も手を出せばよかったと思ってしまう。
どうして手に入らないのだろう。と思うけれど、私に強く好意を抱いてくれる人からの好意に対して、私も友人として以上の好意を返すことができない。
私は相手をまっすぐに見ている。相手も私を見てはくれる。けれど普段は全く違うところを見ている。たまに振り返ってくれるだけだ。私も他の人にそうしている。
唇は盗めても、心は盗めない。